グロトリアンについて

高い評価を誇るグロトリアンピアノ
 グロトリアンピアノは、日本ではそれほど有名ではないようですが、ヨーロッパでは、一流ピアノとしてよく知られており、その評価もかなり高いようです。
 第二次世界大戦の空襲で工場が灰塵と化したため、一時中断したピアノ製造が1940年再開されたことに対して、高名なピアニストのWilhelm Kemp(ウィルヘルム ケンプ)は、サンパウロから次のように書き送っています。「音響と清純な繊細さに関する限り、グロトリアンピアノは灰燼の中から新たな壮麗さを持って現れたのだ。」
 GROTRIAN・STEINWEGは、当初から品質的にたいへん優れていたため、ヨーロッパの国々の宮廷御用達とされたのはもちろん、著名なピアニストや音楽家からも、たくさんの賛辞が寄せられています。ケンプ以外にも多くのピアニストや音楽家から支持され、愛されてきました。クララ・シューマン、パウル・ヒンデミット、ワルター・ギーゼキング、パウル・バデュラ−・スコダ等、枚挙に暇がありません。
 また、カリスマ的な調律師の杵淵直知氏が、ドイツ滞在中に奥様に書き送った手紙の中で、ドイツのピアノ専門家の意見として、次のようにグロトリアンにふれています。「ドイツでピアノが10あって9つが響板が割れたとする。残った響板の割れないピアノがあったら、それはグロトリアンだ。」
「アップライトは、グロトリアンが世界一だとだれでも言う。」(杵淵直知書簡集『ヨーロッパの音を求めて』より)

グロトリアンピアノの歴史
Georg Friedrich Karl Grotrian
(1803〜1860)
 Grotrian社の創業者であるFriedrich Grotrian(フリードリッヒ・グロトリアン)は、1803年、ドイツのほぼ真ん中にあり、後にGrotrian社の本拠となるBraun-schweig(ブラウンシュバイヒ)の近郊のSchoeningen(シェーニンゲン)に生まれました。
 その後、ロシアのモスクワに渡り、ヨーロッパ文化の吸収に熱心だったその地で、ピアノの製造・販売を営み、成功を収めました。
 その後、叔父の遺産を運用するため、25年の外国生活に終止符を打ち、故国に戻ったFriedfichは、1835年、町で小さなピアノ製造工場を立ち上げたばかりの若いピアノ技術者に出会い、その事業に投資をします。そのピアノ技術者こそ、Theodor Steinwegで、彼らのピアノは、Grotrian・Steinwegと名づけられました。このSteinwegが、後にニューヨークに渡り、英語風のSteinwayにその名を変えて、1853年STEINWAY&SONSを世に送り出すことになることは有名です。
 その後のGrotrian社の経営は、今日にいたるまでGrotrian家によって代々引き継がれています。創業者一族が、100年以上に亘って技術と伝統を守り続けている例は、数多いヨーロッパのピアノメーカーにおいてもザウター等数社になってしまいました。

グロトリアンピアノの特徴
 グロトリアンの音の特徴は、「シンギングトーン」といわれるように、まさに人が歌うような音だと形容されています。
 その音作りに決定的な影響を与えるのが響鳴板で、それゆえグロトリアンの響鳴板は、「シンギングボード」と呼ばれています。Grotrian社においては、この響鳴板に心血を注ぎ、その伝統を守り続けています。アルプス山脈のある一定の標高の北斜面に一様に生育するスプルースを含水率が最も低い冬の間に伐採し、長期に亘って自然乾燥させたものが用いられます。さらに、この原木から加工された木材から、高い弾力性等の音響特性において優れた材料だけが選び抜かれ、バランスよく組み合わせることによって、いわゆる「ホモジュナス(均一性の高い)・サウンドボード」が造られるのです。
 もう一つ、忘れてはならない特徴は、堅牢さを誇る背面構造、とりわけアップライトのX型のそれは有名です。20層以上のブナ材を高温高圧の状態で成型し、鉄並みの強度を持った背面構造に仕上げます。これは、鋳物でできたアイアン・フレームを補強し、ピアノ全体の構造物としての強度を保証するとともに、調整によって得られた良質の状態を、できる限り長く維持することにも役立っています。

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