プレイエルについて

ショパンとPLEYEL
 プレイエルは、ショパンに愛用されたピアノとしてあまりにも有名です。1832年、シ ョパンは、パリのサル・プレイエルでのデビューコンサート以来、終生プレイエルのピ アノを使い続けたといわれています。
 ショパンは、39年という短い生涯の中で、膨大な楽曲を世に残し、そのほとんどがピ アノ曲でした。その意味でも、プレイエルが、ショパンの音楽人生にとって、いかにか けがいのないものであったか、お分かりいただけると思います。  ショパンがパリの音楽界にデビューしたころ、ロマン主義の思潮が欧州に広まり、パ リは、その中心的な都市でした。そのような文化的環境の中で、ショパンもまた人間本 来の感性を発露とした、それまでの形式や表現方法にこだわらない、新しい個性的な楽 曲を次々と発表しました。
 『ピアノの詩人』と称されるように、彼の音楽の特徴は、甘味に富んだ叙情性にあり また、その演奏技法は、ピアノに「歌わせる」ことを念頭にしていたとも言われており そのための表現手段として、プレイエルピアノは、欠かせないパートナーであったので しょう。
「私は、気分がよくて求めるものを得るための十分な心身の力があるときに、プレイエ ルを弾く」と言ったショパンは、弾き易い軽やかなタッチと、明るくよく響く歌うよう な音色を特徴としたプレイエルに、単なる楽器として以上に深く親密な関係を感じてい たのではないでしょうか。

  フランスの誇り
 エラール、ガボー、ラモー、プレイエルは、19世から20世の初頭までフランスは、数 多くのピアノを産出したピアノ大国の一つでした。エラール、ガボー、ラモー、プレイ エルピアノは、音楽史、楽器しに残る名器の名前です。
 しかし、2度にわたる大戦とその後の混乱の中で、そのすべてが消滅するという悲運に 見舞われました。その中で、プレイエルもまたドイツのシンメル社のよって製造される 期間が長く続き、フランスピアノの歴史は、完全に費えたかに思われてきました。  しかし、1970年、「フランスのピアノ文化を絶やすな」という国内外からの声に押さ れるように、政府や財閥も動いて、プレイエル社のピアノ技術者を中心にフランスピア ノを製造するメーカーを立ち上げました。 1994年には、プレイエルのブランドも買い 戻し、新生プレイエルは、ショパンが愛したあの「歌うような」明るくブリリアントな 響きを取り戻し、世界に向けて、鳴り響いています。

ストラディバリウスの赤もみの木とプレイエルの出会い
 いま、プレイエルの響鳴板は、世界で一番高価な、北イタリアのアルプス、フィメー 地方の赤もみの木(トウヒ)を使用しています。この地方の赤もみの木は、ヴァイオリ ンの名器=ストラディバリュウスに使用されていることで有名で、冬目がギザギザにな っていて、比重が軽くて柔らかく、響鳴板として使用した場合、音の伝達速度が速いた め、板全体がよく振動して鳴りがよいのが特徴です。
 ショパンがこだわった明るくブリリアアントなシンギングトーンの再現を目指したプ レイエルの職人達と、この素材との出会いは、かけがいのないものでした。

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